深圳在外研究メモ No.33 深圳のゲノム・ジャイアントBGI傘下の国家基因庫(China National GeneBank)訪問編~研究院の執行副院長は30才、まるで大学の雰囲気

エレクトロニクス産業が現状では支柱産業となっている深圳市ですが、AIや医療/バイオベンチャーの存在も徐々に耳にするようになってきました。なかでも世界的に著名なのが、世界最大の遺伝子解読(シークエンス)の能力を誇るとされる、BGI(華大基因)です。

BGIはBeijing Genomics Instituteの略称で、その名の通り、元来は1999年に北京に設立された研究所でした。WIRED記事「中国のゲノム研究所、「究極のシークエンサー」の開発に着手」でも紹介されている通り、2010年にBGIが当時世界最速のシークエンス機であるIllmina社のHiSeq200を128台購入したことで、一気に世界最大のシークエンス機関となったことが特に著名です。最近ではBGI傘下の一社である華大基因股份有限公司が深圳市証券取引所に上場しています。

中国国内の報道に記載されたBGIの歴史を要約すると次のようになります。。

第一段階(1990年-1998年):キャッチアップ段階

1990年に「ヒトゲノム計画」が始動したとき、英国のSangerゲノム研究所のポスターに書かれていた“buy one or get one free?”という挑発的なタイトルに、楊焕明、于軍、汪建らは大いに触発を受けた。1997年に湖南省での会議で、彼らは先見的な戦略を提案し、1998年8月に中国科学院遺伝研究所にヒトゲノムセンターが開設された。しかし当時は中国国内はヒトゲノム計画に参加すべきか意見が大きく分かれていた。

1999年に汪建らは独自にヒトゲノム計画に「中国代表」として参加申し込みを行い、米国、英国、日本、ドイツ、フランスに続く6か国目として正式に参加することとなった。

第二段階(1998年―2006年):参加と合流

1999年9月9日、ヒトゲノム計画の「中国部分」を担当することを担う研究所として、北京華大基因研究中心を正式に登記する。2000年6月26日、6か国16研究所の努力の結果、米国のクリントン大統領と英国のブレア首相が「ヒトゲノム計画」のワーキングフレームワークを発表した。この結果、時の江沢民国家主席は汪建らを誉めたたえ、BGIは一夜にして中国国内で著名となった。

この間、様々な原因によって、BGIは杭州に移転し、一度は国家体系から離れたが、愛国心を放棄したわけではなく、むしろ2003年のSARS流行時には病原体の遺伝子配列を分析し、30万セットの診断キットを寄付した。この結果、2003年4月、胡錦涛国家主席から表彰され、BGIは再び国家体系の中にもどった。しかし当時の毛細血管測定技術ではコストが落ちず、これが原因で2006年に再び制度的な壁にぶつかることとなった。

第三段階(2006年-2013年) 並走と超越

新シークエンス技術の登場のタイミングで、2007年、汪らは深圳市政府の支援のもとで、南下し、深圳で「中国人遺伝子図」プロジェクトを始動する。その後、更に1000人のヒトゲノムの解読を行ったが、これらはすべて国外のシークエンス機械によって達成されたものであった。

第四段階(2014年-2022年)飛び越えとけん引

BGIは2013年に米国のシークエンス機メーカーを買収し、設備の国産化に着手し、更なる発展を目指している。

上記の書き方は表向きという感じで、BGI参加のデータセンターを今回訪問するなかで、国家体系のなかを意味する科学院に入った時期(SARS解読の貢献の後)には、研究所の運営を巡り衝突があったとのことです。これが、科学院を離れて、独自の企業形態で深圳市に2007年に移転したことにつながります。

シークエンス機器については現状では買収した米国企業での開発が主力とのことでしたが、深圳市にはFoxconnやHuaweiをはじめとしてエレクトロニクス産業の蓄積があり、深圳市でシークエンス機器が製造されるようにすでになっているか、あるいは近い将来になると考えるのが自然でしょう。

以下では今回訪問できた、BGI傘下のデータセンター、国家基因庫(China National GeneBank)の様子を紹介します。

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大鵬新区にある国家基因庫(China National GeneBank)のビル。

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ロゴは「2つのプラットフォーム、3つのデータベース」を表象しているとのことでした。2つのプラットフォームとは、シークエンスと組み換えのプラットフォームを意味し、データベースはサンプルデータ、遺伝子データ、そして生体データを意味しています。合計で現在60ペタバイトのデータを管理しているとのことでした。

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入り口ではマンモス像にスローガンである「永存、永生」が記載されている。

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開放感溢れる館内。

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案内してくれた執行副院長は1987年生まれ、湖北省でセンター試験No.1(中国語では「高考状元」)で北京大学に入ったという方でした。北京大学卒業後、デンマークで博士を取り、BGIに入社したとのことで、中国の人材の若さと厚さを目の当たりにしました。BGIでは研究方面で成果を出す研究者としての評価のほかに、プロジェクトの運営で成果を出すことで評価されるポジションもあるそうで、彼は後者に属するそうです。

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シークエンス機器、サンプル数、データ量、論文糧、産業での収入の推移。

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シークエンス機が並ぶ部屋。大きな部屋に100台以上がならび、部屋の中には4名程度の従業員がいるだけでした。

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最も印象に残ったのは、フロアの壁に書かれた手書きと張り紙。これは創業者である汪建が自ら手書きで書いたものらしく、BGIの方向性や方針が生々しく頭を動かしながら作られている姿が目に浮かびました。大学教授の研究室ではよくホワイドボードに研究構想や数式が並んでいますが、それに近い印象です。また案内してくれた方も、汪健氏のことを「汪老師(汪せんせい)」と呼んでおり、「汪総(汪社長)」などとは一言も言わなかったことも、研究寄りの機関としての特徴を感じさせました。

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「大民生、大産業、大科学」のトライアングル。左上には「健康中国」、「一帯一路」といったキーワードもあります。

 

 

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屋外の看板をよく見ると、粟がはいっており、これはBGIでは植物の解読も進めていることがあるとのことでした。BGIにはフラミンゴまでいて、自然あふれる環境に研究所を作っている方針が明確です。

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お昼時の食堂。この写真だけを見たら大学の食堂と言っても通じるかもしれないですね。平均27才ということでした。

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