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Maker Faire Shenzhen, No.3~深圳海上世界(Sea World)の歴史, あの船「明華号」は「日中友好の船」だった

 

2016年10月のMaker Faire Shenzhenの会場となった、中国深圳市の西部、蛇口にある「海上世界(シーワールド)」。なぜか巨大な船が陸地にあって、周りにショッピングモールを抱えるファッショナブルな場所となっています。イメージで言うと、シンガポールとお台場と六本木が合わさった感じの場所でした。香港に住んでいた友人によると、香港に駐在している人が、週末に「海上世界」に遊びに来るようなこともあるそうで、ひと昔では想像できないようなことが起きています。今回は、この船が、実はストーリーの塊だという話です。

なお、関連のブログなどは、第6回ニコ技深圳観察会(2016年10月) 感想まとめをご覧ください。

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船の周りは噴水になっており、周囲は開発が急ピッチで進む

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明華(Minghua)と名前が残る。後ろのビルが「招商蛇口」のビル

実は、現地でなんだか色々な違和感を覚えていました。近くで10年以上レストランを経営しているおじさんに「あの船はどんな船なの?」と聞くと、「いや~昔は普通に利用されていた船なんだけど、座礁してああなったんだよ!」とにわかに信じ難い話をしていました。さらに会場を歩いていたら、次のような写真を見つけました。曰く、「1983年8月、明華号は広州遠洋輸送公司から、海上世界株式有限公司に譲渡された」。どうゆうことなのだろうか?

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日本語でググっても資料が見当たらなかったので、ひとまず中国語のネットで調べてみました。主に参照した記事は『深圳晩報』2015年8月12日記事「海上世界:改革开放的传奇历史坐标」、そして百度知道「海上世界的历史沿革」(2016年5月12日版)です。どちらも普通の記事なので、特段の深みはないだろうと思って読みましたが、これがなかなか興味深かったです。

ドゴールが進水式をし、中国に売られ、アフリカの援助のためにタンザニアに赴き、83年には鄧小平が来た。その船の横で、2016年10月、新しいモノづくり、「メイカーズムーブメント」を体現するMaker Faire Shenzhenが行われ、そこにはEric Panがいて、そしてAkipartyがすぐ近くで行われたわけです。改革開放の生き証人というのは、言い過ぎではないのかもしれない。そしてそこに少なくない日本人、我々自身も足を運んでいたわけです。意識せずに。

 

『深圳晩報』の記事の全訳は以下の通り。ざっと訳したので、たたき台で、工場の名前とかは徐々に加筆修正します。

“海上世界(シーワールド)”は、1980年代と1990年代に、一度、深圳のランドマーク的な観光スポットとなっていた。この船は、フランス大統領専用の豪華客船であったが、その後、この蛇口に接岸し、幾度もの盛衰を経て、中国の改革開放の進展のなかで伝奇的な彩りのある、歴的的な場所となっている。

人々は不可思議に思うだろう。中国改革開放の歴史は、かつて一艘のフランスのクルーザーと切っても切れない縁があった。これが蛇口にある明華号であることを。

 

過去と現在。

中国はフランスのクルーザーを購入した。明華号はフランスが製造した豪華客船で、もともとは“Anceevilla号”と呼ばれ、1962年8月7日、フランス総統のシャルル・ド・ゴール将軍がこの船の進水式でテープカットを行った。この船はフランスでも著名な「委纳译尔大西洋船厂」が建造したもので、9層、全長168.18メートル、幅21メートル、排水量は14224.42トン。総面積は13,471平方メートル、船外甲板の面積は2,983平方メートルであった。

1970年代に中国はこの船を購入し、マルタにおいて引き取った。同時に、「明華号(Minghua)」と改名し、本船の数奇な運命が続くこととなった。

中国は21世紀が始まって10年が経つ現在においても、豪華客船を建造したことがない。明華号と改名されたこの「中古品」が中国籍となって後、最初の使命は、中国による、タンザニアのエンジニアへの援助することであった。

1978年6月、明華号は国務院の派遣で、ベトナムの中国華僑を迎えに行った。1979年1月、明華号はカンボジアに中国の専門家と関係者を迎えに行った。同年5月、廖承志副委員長が率いる、中日友好代表団は明華号に乗って日本を訪問した。これより、明華号は「中日友好の船」と呼ばれるようになった。

1983年8月14日、明華号は最後の運航を終え8月27日に深圳蛇口に到着した。そして広州遠洋運輸公司から「海上世界」株式有限会社へと譲り渡された。この時に明華号は蛇口海岸の六湾に停泊し、海上の旅を永遠に終わらせることになった。

 

名声へ:鄧小平が揮毫した「海上世界」

謝敬華氏は、1987年、深圳に来た。いわゆる特区建設の第一世代の開拓者だ。彼はかつてタンザニア―ザンビア鉄道のエンジニアで、タンザニアに派遣されていた。当時、中国は厳しい経済的な困難に直面しており、国外援助のエンジニアは船にした乗ることしかできず、24日間の航海ののち、タンザニアのダルエスサラーム港に到着した。

20日以上の漂白する日々と夜について、謝敬華氏は回顧する。船に乗った1日目の夜は、皆、興奮で一睡もできないが、二日目の朝になると荒波にもまれて船酔いになり、それは南シナ海とインド洋上で最もひどくなり、ベッドから立つこともできず、一口でも食べたものは吐き出していた。1973年7月、謝氏は明華号に乗って祖国へと帰ってきた。最も印象に残っているのは、その部屋が清潔で整っており、装飾は精緻かつ優雅であったことだ。彼ら皆、山深い田舎で鉄道を修理し、皇宮のような豪華な場所は見たこともなかった。事実、この船はフランス総統の海上の宮殿だったのだ。

明華号が蛇口に到着した際、錨は海中にあり、現地の埋め立て面積の不断な拡大によって、明華号はすでに大海から大きく離れて、文字通り、陸上の船となっていた。“Anceevilla号”から“明華号”へ、そしてさらに“海上世界”へ、この船は昔日には1万トンを超えるクルーザーだったものが、中国で初めての海上旅行センターへと変貌し、歴史は続くこととなった。

1983年12月16日、“海上世界”は試営業を迎え、初めての顧客を船に迎えた。わずか1か月の後、一人の特別な客人を迎えることとなった。それは深圳を初めて訪問した鄧小平である。鄧小平はここに滞在し、「海上世界」と揮毫し、明華号に名声をはせさせた。

 

静かな没落

輝かしい月日が過ぎ、衰退へ。今日でも大多数の国民はクルーザーに無知であるが、いわんや改革開放初期においてはさらに無名であった。このため、1980年代と1990年代において、「海上世界」は深圳の著名な観光スポット、名勝となり、数多くの内外の観光客が訪れていた。船の上で見学したり、食事をとったり記念品を買う以外に、船上のダンスホールで歌を歌い、踊ることもできたし、さらには船長室に一泊して忘れがたい思い出をつくることもできた。

しかし、鄧小平がフランスのクルーザーを知らなかったわけではない。彼が16歳の時、四川の田舎から飛び出て、フランスのクルーザー「盎特莱蓬号」に乗って、上海から39日をかけてフランス南部の都市、マルセイユに降り立った。1920年から1926年、鄧小平はフランスで働き、勉強し、6年の月日を過ごした。

明華号は鄧小平とド・ゴール、この二人を奇妙にも結びつける。60年以上の時間を経て、鄧小平が再びフランスのクルーザーに搭乗した時、この巨船の最初の気品ある主人であったド・ゴール将軍は、十数年前にこの世を去っていた。

1984年の国慶節、「時は金なり、効率こそが命なり」のスローガンを装飾した「海上世界」の模型が、天安も広場を駆け巡った時、そして1993年8月28日、第7回全国運動大会の聖火が、「海上世界」の上で燃えたとき、明華号は文明と進歩の象徴だった。その後、経済特区の建設が飛躍的に進展するなかで、「海上世界」は、一度、往年の魅力を失い、消防と経営上の問題から、1998年には営業を停止し、荒涼とした低迷に陥った。

 

新しい船出

中国は悠久の農耕の歴史をもち、また長大な海岸線をもつものの、海洋文化が国民と民族の伝統に残した影響は実に浅い。もしかすると、国民の豪華クルーズ船への印象は、「不沈」のタイタニック号にとどまり、これですら一世を風靡した映画によるものだった。

タイタニック号の船出はAnceevilla号よりも丸々50年早く、排水量は不可思議な6.6万トンに達し、Anceevilla号の1.4万トンとは比較にならない規模である。

しかし、彼らの命運もまた、比較できないものである。「夢の旅客戦」にとって、その処女航海が最後、そして唯一の航海となった。Anceevilla号は、退役後にも東方文明の民族精神の再興の歴史的な証人となり、この奇跡が深圳において、そして30年前の「改革試験管」で誕生したのである――それが蛇口である。

1987年3月30日、ローザという外国人が太子路で最初のバーを開店した。いまでは、海上世界プラザから太子路に沿って、海景プラザ、碧涛センター、迎暉閣、迎朝閣、さらには南海酒店まで、数十軒の異国情緒のあるバーが華やかさを競っている。現在計画中の深圳国際濱海観光長廊の起点であり核心として、「海上世界」はアメリカのサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを参考に、上海の蘭桂坊、上海の新天地とならぶレジャー・アミューズメントセンターを目指している。西側の道路は海を越えて、香港のディズニーランドの商業圏を組み込むようにも意図されている。

21世紀に入り、明華号は、再び汽笛を鳴らす歴史的チャンスを迎え、「海上世界」プロジェクトを再構築する機運が生まれている。2005年12月に、「海上世界」は再び開業し、明華号は新たな船出をしたのである。あるべきものはすべてある「国際海浜ニューシティ」を打ち立てるため、招商局(China Merchants Group)はこの船を新蛇口の建設の渾身の作としようとしている。

 

関連記事:Maker Faire Shenzhen, No.2, クリエイティビティに足が生えて越境している, 言語の問題じゃない

メモ:

招商局:http://www.cmhk.com/main/

招商蛇口:http://www.cmsk1979.com/


1件のコメント

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